明治35年(1902)当時、求道学舎の建築は、元憲兵屯所の古い木造2階建でした。その崩れ落ちんばかりの求道学舎は関東大震災を辛うじてくぐり抜けましたが、もとより老朽化していたため、大正15年(1926)求道会館と同じ武田五一の設計で建て替えられました。 RC造3階建、白亜の寄宿舎は、東京大学正門前の下宿街として賑わっていた本郷森川町の中でも、ひときわ異彩を放っていたそうです。常観が洋行中に訪ねた、オックスフォードの寄宿舎や、マルチンルターが住んだ修道院などがモデルだと伝えられています。
 求道会館と求道学舎とがあい寄り添う姿には、次世代を担う青年仏教徒の精神生活の拠り所にしたいと願った常観の思いを彷彿とさせるものがあります。